司馬遼太郎の歴史文学・ 史観などについて(3)
三、当時の反戦運動や作家が描く日露戦争
鎖国をやめ、急速に近代国家になる必要のあった日本。他国の迷惑のうえに、ロシアとの戦いに勝って列強の植民地支配をまぬがれた。と司馬遼太郎は主張します。現代史のなかで日露戦争をどうみるかが一つの重要なポイントになるように思える。
日露戦争に勝利したことにより社会全体が熱狂し勝利に酔います。しかし、日露戦争では十万一千人戦死、軍隊は一〇〇万をこえ、その軍備調達に海外から借金し重税を課して多くの国民の生活は破壊されました。
少数であったとはいえ最初から日露戦争に真正面から反対した人々もいました。
社会主義的立場、基督教の立場からは、幸徳秋水、内村鑑三、北村透谷らは真っ正面から日露戦争に反対しています。
和歌山県では和歌山中学の学生・加藤一夫、医師の大石誠之助がいます。(和大の後藤先生の「日露戦争と非戦運動」)
石川啄木が当初日露戦争を賛美しますが、しかし、その後の現実から急速に批判する立場に変わります。
明治時代の多くの作家は、日露戦争そのものを真っ正面から批判してはいませんが、現在風にいえば、痛みを伴った人々の立場に立って描いています。日露戦争勝利の狂気の中でも与謝野晶子は「君、死にたもうことなかれ」を書きました。
あまり知られていませんが夏目漱石も「趣味の遺伝」で、旅順で死んだ若者とその母の悲しみを深い哀悼の思いを込めて書いています。
島崎藤村は、詩「農夫」で、人と人が殺し合う戦争、それより農夫でと徴兵を拒否する若者、それでも男かという父、そんなことをすれば売国奴といわれ家族が生活できないという母……その板挟みの苦悩をうたいました。
田山花袋は「一兵卒」で正義のため、国のためにと勇んで戦争に、しかし戦争の現実と軍隊の実際は、それがいかにむなしいものであるかを描いています。
泉鏡花は「海域発電」で従軍看護婦(赤十字)が敵国の兵士も看護したことで売国奴とされることを。
等々……
四、司馬遼太郎についてのいくつかの感想
司馬遼太郎が幕末から明治にかけての作品で、倒幕のおおきな引き金になった農民一揆や打ち壊しを描かなかったのと同様に、明治の時代に生きた国民大衆を「坂の上の雲」でも、描いてはいません。司馬遼太郎のほぼ全作品の主人公は、政治の表舞台で活躍した、いわば上層部とそれに近い実在の人々です。それがこの作家の歴史観、政治観に影響を与えているのかもしれません。山本周五郎は、幕閣を書いた小説もありますが、主に市井の人々や下級武士の哀歓を描きます。そこから山本周五郎の政治観は政治一般の否定(よい政治も悪しき政治も含め悪であり、庶民だけが善という)におちいったといいます。作家は往々にしてこういう偏向に陥ります。
私は司馬遼太郎の小説は、半分くらいは読んでいると漠然と思っていました。しかし、あらためて調べてみるととても半分に届かない。加えて紀行文、随想、対談など膨大な量です。それを多少買い込んで読んでみると、なかなか面白い、私の知らない具体的な知識を知ることが出来ます。戦国時代から明治までに限っても有名・無名の人物、史跡、など膨大な資料を調べていることに驚かされます。それに比べ科学的社会主義についての発言は極めて粗雑で、無知です。そして、なで斬りです。
歴史教科書の近現代史の基本に「戦略論」があると指摘されています。それは力(軍事力)による政治と社会支配が国際関係を決定し、その力の見極めが決定的に重要だという思想です。そこから、彼らは、「戦争は悲劇である。しかし、戦争に善悪はつけがたい。どちらが正義で、どちらが不正という話ではない。国と国が国益でぶつかりあいのはてに、政治では決着がつかず、最終手段として行うのが戦争である。「戦略論」とは国家の生き残りと繁栄のための最高方針を研究するもの」という認識です。
司馬遼太郎が、太平洋戦争を馬鹿げた、無謀な戦争であったと自らの経験も含めて批判しても、司馬遼太郎の「史観」の根底で、この「戦略論」と共通するのだと思います。
日露戦争によって日本の軍国主義の原型ができあがりました。軍部の発言権の増大、アジア蔑視の思想、そして靖国神社、教育勅語もこの時代につくられています。この戦争を無批判に国民的な戦争、日本にとってやむを得ないという認識(歴史観)は、司馬遼太郎が、どれほど太平洋戦争について批判をしても反動側からもてはやされる理由です。(おわり)
同盟会員 H・M昭 (日本民主主義文学同盟和歌山支部)
不屈和歌山県版 No.176 2006.4.15